異郷のエキゾティシズム 2
「これを単なる叙景として見ようとすれば、日と月が同時に歌われているというように矛盾となる。
しかし、赤人の狙いは叙景にあったのではなく、実際に即しながらも富士の神性を観念的・綜合的に讃えるために、内容的にも構造的にも均衡を保たせ、整然と歌うことにあったのである。
そのように全体はすっきりとして爽雑物がなく、みごとなプロポーションを保っている。
ここに赤人の歌の特性があり、簡浄な富士の姿と見合う美しさがある。」(橋本達雄『注釈万葉集』)
・・・ということになります。
反歌の方は古来有名な歌で、解説を加える必要もなさそうです。
ただ、一点、この歌の手柄を指摘するにとどめておきましょう。
この歌は、一言も空のことを言っていませんが、歌を読み終った後に、ばーんと背景のまっ青な空が目に浮かんで来ます。
バックが曇り空では、白い富士山がはっきりとは見えない。
青空を背景にして、はじめて雪の富士はその姿を鮮明に浮かび上らせるのです。
赤人という歌人は、このように余白を描き出す表現に才能を示した歌人でした。
次の例も同様です。
み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
象山の山の端に立つ木の木末のあたりで鳥がひどく騒いでいる、といいます。
・・・こう表現されると、その一点から発せられる音だけに意識が集中させられることによって、周辺全体の静寂の深さが浮かび上って来ることになるのです。