異郷のエキゾティシズム 3
空間だけではなく、時間においても、赤人は、現在のいわば背景ともいうべき過去や未来を視野に入れ、それを余白のようにして浮かび上らせています。
神亀元年(724)の紀伊行幸の折の和歌浦での作の反歌に、
沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちて隠ろひゆかば思ほえむかも
・・・の音があります。
今見えている藻が、満潮で見えなくなってしまった時のことを想像している歌です。
余白を浮かび上らせ、背景を視野に入れる・・・
これは、対象を全体との関係においてとらえるということです。
人麻呂が時間という軸を据えて見たところを、赤人はより自在に、対象ではなくかたちで見た、ということになるでしょう。
旅先での自然が、自然そのものとして見られはじめた、と言ってもよいでしょう。
虫麻呂や赤人の歌には、歌垣の歌や富士山の歌のように、ルポルタージュ風な取材姿勢に立つ歌も少なくありません。
そして自然の歌。
平城京の都市化が進み、都と鄙の落差が激しくなったことが、そうした作歌姿勢を生み出した最大の原因であったでしょう。