異郷のエキゾティシズム 4
今日は、やや特殊な旅の歌を見ておくこととしましょう。
いわゆる「遣新羅使人歌」と「防人歌」です。
新羅へは天平8年(736)6月、大使阿部朝臣継麻呂、副使大伴宿弥三中以下のメンバーで出発し、翌9年3月に帰国しています。
この折の歌で、「各別れを悲しみて贈り答へたる、また海路の上に旅を働み思ひを陳べて作れる歌、また所に当りて諦詠せる古歌、百四十五首」が一括して巻十五に収められています。
一行は難波を出航して瀬戸内海を抜け、筑前から壱岐、対馬とわたって新羅へと向っています。
歌は、出発前の作十一首、復路の作五首を除いて残りはすべて往路の作。
新羅での作は一首もありません。
その頃、日本と新羅との関係は不調でした。
この度の交渉も、「新羅国、常礼を失ひて、使の旨を受けず」という結果に終っています。
気が進まない旅と言うか、重くて暗いムードが一行を支配していたようです。
使命感や張り切った気持ちをうたった歌は全くありません。